「問題の模倣」からの脱却
最近、研究の「新規性」を確保する際に意識していることがあります。それは、無意識的に他人が提唱した問題を模倣しないということです。フランスの社会学者ガブリエル・タルドが1890年に出した『模倣の法則』に、こんな一節があります。
続きを読む “「問題の模倣」からの脱却”最近、研究の「新規性」を確保する際に意識していることがあります。それは、無意識的に他人が提唱した問題を模倣しないということです。フランスの社会学者ガブリエル・タルドが1890年に出した『模倣の法則』に、こんな一節があります。
続きを読む “「問題の模倣」からの脱却” →開発研究をはじめてまだまだ6年目ではありますが、最近、開発研究の「支援原理」の作成に苦労している人が周りに多いので、僕なりの支援原理の作り方を書いておこうと思います。
続きを読む “創造的な開発研究につながる支援原理の作り方” →
先日ようやく博士予備審査論文を書き上げました(現在審査の認定待ち)。
審査を通してまだまだ修正するとは思うのですが、とりあえず一旦書き上げたということで、脳内にへばりつく凄い研究者の考えから脱却しようともがいていたお話を書いておこうと思います。
最初に前置きをしておくと、僕の所属していた大学院は学際領域(学問と学問の間を扱う学問)という少し特殊なところです。僕の場合は、教育工学と歴史学と認知心理学を混ぜたような領域を扱い、「歴史を現代に応用する学習方法の開発」をテーマにした博論を書いています。今後の審査で変わる可能性は大いにありますが、現状をざっくり要約すると、以下のような感じです。
僕は博士課程に上がると決心した時、不安に感じていたことが1つだけありました。それは「お金が稼げない」とか「人とのキャリアの足並みがずれる」とかではなく、「いつか研究者として枯れないか」という不安です。
例えば、いつまでも過去の栄光にしがみついて次第に重箱の隅をつつく研究者になったり、色んな領域に手を出して軸のぶれた研究者になったり、1年でできる目先の研究に追われて重厚な研究群を構築できない研究者になってしまうんじゃないかと不安に思っていました。
どんなに情熱に溢れ、素晴らしい博論を書いたとしても、それは大学院時代の5年間レベルの産物であって、偉大な研究者が残した何十年レベルの重みに比べたら比較にならないことは明白です。つまり、偉大な研究者になりたいなら、博士課程「後」に研究者として枯れないための方法を構築しておかないといけないと思ったのです。
そうやって山内研の博士課程で3年過ごしているうちに、ようやくその鍵らしきものが5つ見えてきたので、長くなりますが書きたいと思います。
続きを読む “研究者として枯れないために” →2012年は、教育工学系の学会、社会科教育系の学会、教育メディア系の国際会議、大学教育系の学会、歴史学者が集まる研究会、高校の副校長が集まる研究会、社会人が集まる研究会など、とても多様な立場の人に向けて「歴史を現代に転移させる方法や教材」について研究発表をする機会がありました。
今回はこのような経験を振り返り、自分の研究を多様な人に伝えることに重点を置いた研究発表のこだわりを書き留めておきたいと思います。テーマはずばり「研究発表の場でチーム感を作ることの重要性」です。
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