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今年の抱負2:次のキャリアを考える -教材開発から学習インフラ開発に移行するために

東京大学で特任助教、特任講師を続けて約10年ということで、そろそろ次のキャリアを考えたいなと思っています。

長期的な目標はずっと「人類全体が歴史を繰り返さないよう、歴史から学べる新しい学習インフラを開発する」なのですが、これを実現するにはどのキャリアに進むのが良いのかをずっと悩んでいます。

というのも、これまでは色々な教材開発をしつつ授業実践をし、新しい学習の風景を開拓するというスタイルで研究をしてきたのですが、論文だけだと現実の世界に教材を広める力が弱いため、「新しい学習インフラ」にするにはハードルがあるなと感じたからです。ちなみにここでいう「学習インフラ」とは、学校制度、セサミストリートやNHKのような教育テレビ、Scratchのようなプログラミングの構築・共有ができるWEBサイトなどをイメージしています。

それでグルグルと色々なことを考えているのですが、単発の教材開発をする研究者から、学習インフラを開発する研究者に移行するには、大きく3つのポイントがあるなと感じました。

1つ目は、学習インフラを支える教育理論・思想を構築することです。新しい学習インフラをきちんと構築するには、教材や学習コンテンツがバラバラに存在しているだけではなく、それらを編み上げるルールとなる理論や思想が必要になります。これがないと、コンテンツはバラバラと存在するけれども、誰にも使われない状態になります。特に学校制度については理論や思想がしっかりありますが、インフォーマルな領域にも絡むような学習インフラを考えるのであれば、新しい教育理論・思想が必要だなと感じています。個人的にはデューイの教育理論が好きなのですが、どうアップデートできるかはじっくり考えたいなと思っています。

2つ目は、企業との連携です。東大では共同研究プロジェクトを担当することが多かったのですが、やっぱり企業と連携すると一気にインフラとしての実現度合いが高くなるなと感じました。例えば、日本版の「大規模公開オンライン講座(MOOC)」となったgaccoの講座を開発・評価する共同研究プロジェクトに携わっていたのですが、これは研究的な理念を「学習インフラ」にする理想的な事例だなと思いました。資金的な面だけでなく、人的な面でも、やはり一研究者として開発するだけではなく、色々な人と連携できる研究者になる必要があるなと感じています。

3つ目は、現場での利用事例を増やすことです。いくら「モノ」を作っても、教育現場での利用事例がないと、学習のイメージが湧きにくく、「心理面でのインフラ」にはならないと感じました。これは、Google for Educationとの共同研究プロジェクトで、Scratchを小中学校の授業で活用するプロジェクトがあったのですが、長野県の大学と教育委員会と多数の学校の教員がチームを組んで事例をどんどん作り、共有していく中で新しい学習インフラになっていた様子を見て思ったことで、やっぱり現場に落とし込んだ利用事例は普及力のエネルギーになるんだと思いました。

ということで次のキャリアとしては、企業や教育現場と連携できるようなポジションにつきたいなと思っているのですが、それを実現するには、大学教員が良いのか、企業に所属するのが良いのか、NPOもしくはベンチャーを立ち上げるのが良いのか、現場の教員として良い事例を作りつつコミュニティを構築するのが良いのか、もしくは全部やれるのか、その辺りはまだ悩んでいます。

今年はこの辺りをじっくり考えつつ、次のキャリアに進みたいなと思います。

今年の抱負1:研究の根を伸ばす

博士論文「歴史の応用を学習する方法の開発」を出してから8年が経ちました。 助教になってからは研究プロジェクトのメンバーとして論文を書くという生き方を10年近く続け、2021年は主著・共著あわせて10本の論文を出せましたが、最近、このままだと危ないなと思うことが多くなってきました。

それは、研究の「花」を咲かせるのに力を入れすぎて、「根」の手入れができていないのではないかという危機感です。

博士論文を書いていた時は、自分の研究哲学(主根)に沿って、領域の動向を整理し(側根)、個々の先行研究をレビューしていました(根毛)。下の絵でいうと、黒の根の部分です。

ところが助教以降になると、読んだ論文が年々自分の根に位置づけられなくなることが増えてきました。これには大きく2つの原因があると思います。

1つは、単純に読んでいる先行研究の数が増えて処理しきれなくなってきたからです。プロジェクトや輪読会などを通して、自分の領域の論文はできるだけインプットするようにしているのですが、絵でいう青の点のように「なんとなくこの辺に位置づくな」とはイメージできるものの、自分の側根と具体的にどう繋がるかまでの解像度で考える時間がなく、根の伸び具合がぼんやりしていることが増えました。

もう1つの原因は、研究プロジェクト配属の場合、「自分の専門領域の根」ではなく、「研究プロジェクトごとの根」を育てる必要があるのですが、それをどう自分の根に取り込めるかを考える時間がなくなってきたからです。特に研究プロジェクトの場合は、一定期間のうちに「花」を咲かせることが求められるため、自分の根の手入れをする時間が後回しになりがちです。その結果、例えば「教育におけるAI」という側根のまとまりだけは持っているものの、自分の専門領域の根における位置づけがぼんやりすることが増えました。

じゃあ、どうしたらよいのか。

答えはシンプルで、博論よりメタな学術本を書くことだなと思いました。

つまり、絵の赤部分のように、博士課程の頃よりも哲学や思想(主根)を深くし、先行研究の領域(側根)を広げながら、大量の論文がどう位置づくのか(根毛)をきちんと文章でまとめていく。こういうフェーズが、博士課程を終えた10年目頃に必要になるんだろうなと思いました。

ということで、今年はなんとか時間を作って、地中に潜って根を伸ばしたいと思います。

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学会論文賞をいただきました

全国社会科教育学会から、2016年 研究奨励賞をいただきました!2016年の学会誌『社会科研究』に掲載された論文の中から1本選ばれる、いわゆる論文賞です。大変光栄です。ありがとうございます。

受賞論文は先日掲載された、「池尻良平, 澄川靖信(2016)真正な社会参画を促す世界史の授業開発 : その日のニュースと関連した歴史を検索できるシステムを用いて. 社会科研究, 84, 37-48.」(http://ci.nii.ac.jp/naid/40020897177)です。

今回の受賞論文は、実は4年越しで形になったものでして、本当に多くの方に育ていただいたものだと思っています。ものすごく長くなりますが、感謝の意も込めて少し書きたいと思います。

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博論執筆、最後の苦悩

 

先日ようやく博士予備審査論文を書き上げました(現在審査の認定待ち)。

審査を通してまだまだ修正するとは思うのですが、とりあえず一旦書き上げたということで、脳内にへばりつく凄い研究者の考えから脱却しようともがいていたお話を書いておこうと思います。

最初に前置きをしておくと、僕の所属していた大学院は学際領域(学問と学問の間を扱う学問)という少し特殊なところです。僕の場合は、教育工学と歴史学と認知心理学を混ぜたような領域を扱い、「歴史を現代に応用する学習方法の開発」をテーマにした博論を書いています。今後の審査で変わる可能性は大いにありますが、現状をざっくり要約すると、以下のような感じです。

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研究者として枯れないために

僕は博士課程に上がると決心した時、不安に感じていたことが1つだけありました。それは「お金が稼げない」とか「人とのキャリアの足並みがずれる」とかではなく、「いつか研究者として枯れないか」という不安です。

例えば、いつまでも過去の栄光にしがみついて次第に重箱の隅をつつく研究者になったり、色んな領域に手を出して軸のぶれた研究者になったり、1年でできる目先の研究に追われて重厚な研究群を構築できない研究者になってしまうんじゃないかと不安に思っていました。

どんなに情熱に溢れ、素晴らしい博論を書いたとしても、それは大学院時代の5年間レベルの産物であって、偉大な研究者が残した何十年レベルの重みに比べたら比較にならないことは明白です。つまり、偉大な研究者になりたいなら、博士課程「後」に研究者として枯れないための方法を構築しておかないといけないと思ったのです。

そうやって山内研の博士課程で3年過ごしているうちに、ようやくその鍵らしきものが5つ見えてきたので、長くなりますが書きたいと思います。

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